高橋さん

金曜日のことだが、会社で永年勤続表彰が行われていた。今年の3月末時点で15年、30年勤続した者に表彰状と金一封が贈られる。
しかし30年勤続で表彰されるべき高橋さんの姿はそこにはなかった。
この会社で30年勤め上げた彼に待ち受けていたのは屈辱ともいえる配置転換。それに耐えられず辞表提出。慰留されることもなく受理。
40日近くの有給休暇を消化するため9月頃に会社には姿を見せなくなり、永年勤続表彰が行われたこの金曜日が有給休暇の最後の日、つまり高橋さんの退職日であったのだ。なんたる皮肉な巡りあわせだろうか。

送別会は本人の強い希望で行われなかった。事実上のクビを言い渡した奴らをどうしても許せないとのことだ。
そこで、私を含む若人有志達だけで高橋さんの送別会を催した。社内では極秘事項とのことで。
いつもは3時間4時間の残業などみな当たり前なのだが、この日だけは6時の定時になると1人、また1人と静かに会社を抜け出し、隠れ家的なイタリアンレストランに集合。いつもの金曜日夜の事務所とは違う光景に社に残っている者は奇妙に感じただろう。

そのレストランに高橋さんはいた。今年で53才になるのだが、この年齢では新しい仕事など簡単に見つかるはずも無い。しかしその表情に重苦しいものは何も無い。晴々した表情で意欲満々。若返ったかんじだ。

その日そこに集まった15人程は世代は違えど、高橋さんのとった行動を称賛する者達である。我々の前からは去ってしまったが、これは負けを意味しているのではない。負けているのはこの理不尽な社会に飲み込まれてしまっているボクらのほうだ。
この年齢での再出発にどれだけパワーを要することか。それに立ち向かおうとしている高橋さん、あなたこそ真の勝者だよ。

この日集まった僕らは高橋さんを囲んで飲んだ。しこたま飲んだ。今日でお別れだけど、イヤなことばかりの会社人生だっただろうけど、この送別会が最後にちょっとでも良い印象として残ってくれれば。
飲んだ。しこたま飲んだ。終電の時間も忘れて。

終電を逃した我々はカプセルホテルへ行くことにした。そこに待ち受けていたものは、

「こちらのお客さんはちょっと・・・」

ホテル店員の指差す方は高橋さん。完全なる泥酔状態の高橋さんだけ宿泊を拒否されたのである。

その後の彼の足取りは誰も知らない。が、彼のことだからどこかで生き延びていることだろう。なんたって彼は勝者だし、もう顔を合わせることもないだろうから、どうなろうと知ったこっちゃない。

(執筆地:神田のカプセルホテルにて)