<<ブラックバレンタイン>>


2月14日。バレンタインデー。
一体誰が、この忌わしい慣習を世に広めたのだろうか。




「おはよう。」
寝ぼけ眼で階段を降りると、1階の食卓にはすでに母親と妹がいた。
「ずいぶん遅いじゃないの。今日は大事な日なんでしょう?」
母親が手早くご飯をよそって渡してくれた。

------母さん、あなたは知っているくせに。去年の今日がどんな日だったかを。

ヤケになって朝飯を乱暴に口へと押し込む。
「お兄ちゃん、去年みたいにいーっぱいチョコもらってきてね。」
思わず米粒を吹き出す。
嫌味だ。あきらかにこれは嫌味である。俺は少しカッとなって、声を荒げた。
「おう、山ほどもらってきてやる。そのかわりお前食えよ。全部食えよ。いいな!」
「ごちそうさまっ!」
妹はカバンを持つと、笑いながら食卓から逃げ出した。







朝の教室はいつもよりざわついていた。
俺はそんな浮かれたやつらを無視して、窓際の自分の席へとついた。

「オッス!」
今、俺が一番関わりたくない男がやってきた。中西。
そんな中西がいかにも機嫌良さそうに挨拶してくるのは、その右手に大事そうに持っているモノが原因のようだ。
俺の視線に気付くと、彼はニヤつきながら赤い銀紙でくるまれた小さなチョコを突き出してみせたが、どう見ても30円くらいの義理チョコである。

「お前は、貰った?」
「いや・・・」
「大丈夫。気を落とすな。塚本がチョコ渡すのは放課後だよ。帰りに待ち伏せするんだよ、きっと。」
中西は俺の肩をぽんぽんと叩いた。

その言葉は慰めになっていない事を、多分こいつはわかっていない。
-----いいんだ、貰えないのなら、貰えないで。いや、むしろ貰えないほうが気が楽だ。



俺は窓の外に視線を向けた。
グラウンドの様子を見下ろしていると、横からしつこく中西の声が割り込んでくる。
「この寒いのに朝から体育とは気の毒だよなー。おっ、なんだB組じゃん。塚本いるかな。」
-----こいつ、まだいたのか。あっち行けよな。
「どこかな、塚本ちゃ〜ん」
-----気持ち悪ぃ。何だよ、塚本ちゃ〜ん、て。
「そうだ、中西。D組の岡本さんがお前のことを探してたぞ。なんか、紙袋持って。」
「嘘、マジ!?」
邪魔者は消えていった。


俺はまた窓の外に視線を戻す。
これだけ離れていても、俺は準備運動をしている彼女をすぐに見つけられた。
-----今日はマラソンか、ガンバレ。

1時間目の授業に入ってからも俺はずっと、トラックを走る塚本を目で追っていた。
そしてぼんやりと思った。
-----なぜ、バレンタインチョコは女から男へと渡すものなのだろう。逆であれば良かったものを・・・。



午後の授業に入っても、俺の机やカバンにはチョコレートは入っていなかった。
「決戦は放課後か・・・」
中西の言葉を思い出す。
俺は両手を組み、今日何度目かわからないため息をついた。




放課後。
確かに、学校中がいつもとは微妙に違っていた。何とも落ち着かない雰囲気に包まれる。
3、4人の団体でお目当ての男子を探し回る女子。用もないのにいつまでも教室に残る野郎ども。あちこちで開催される告白大会。
俺は居場所を失って、2階生物教室にもぐり込んだ。いくらなんでもここに来るヤツはいないだろう。
ちょうど窓からは、向いの北校舎からの渡り廊下が見え、好都合だった。
俺は軽い緊張を覚えながら、渡り廊下を行き来する人波の中に彼女の姿を探した。
そろそろ出てくる時間のはずだ。

「いた・・・」
俺は階段を降り、B組の塚本の下駄箱の前にやって来た。カバンを足下に置き、両手をコートのポケットに突っ込み、ロッカーに背もたれた。
------慌てるな。さり気なく、が肝心だ。大丈夫。失敗したって、死ぬわけじゃない。多分・・・。

視界の端に人影が現れた。塚本だ。
------呼吸、呼吸を整えろ。吸って、吸って、吐いて、吐いて・・・。
塚本は立ち止まり下駄箱のロッカーを開けた。
------落ち着け。落ち着け。
彼女は靴を履き替え、ロッカーを閉じた。
そして、こっちを振り向くと、にこっと笑った。

「チョコレート作ってきたの。食べてっ!」
「さ、さんきゅ・・・」
声がうわずる。身体がこわばる。
塚本がビックサイズな包みを差し出す。その手には絆創膏が何箇所にも貼られていた。絆創膏が・・・。
「作るの一年ぶりだったから、指、切っちゃった。エヘ。」
------なんでチョコ作んのに指切るんだよ。
「焦がしそうになったし大変だったんだから。」
------無理しないで買ってくればいいものを。
「その時、つけ爪を中に落としちゃってさ。」
------つけ爪して料理すんのか、お前は。
「でもちゃんと取り除いたからだいじょーぶよ。」
------大丈夫って・・・
「ね、味見してみて、今。」
------いっ!
「今・・・、ですか・・・?」
思わず聞き返した俺に、塚本は極上の笑顔を向ける。



俺は、去年より5割増しはある巨大な「暗黒のお菓子」をかじった。
幸せそうに微笑む、俺の愛しい彼女のために──。












          ガリッ。
            ・・・・・・爪だよ。

 

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