最終回

僕は現在の会社に入って7年目になる。

今から7年前、バブル経済はとっくに終わり、求人が毎年大幅に減少している背景の中、大学新卒者は第2次ベビーブームのピーク世代。今ほど深刻ではなかったが、当時も就職難だった。

三流私立大学で4年間をダラダラと過ごし、なんの取り柄も無かった僕はやはり就職には苦労した。

国際学部卒の学歴を活かすべく貿易業務を希望してはいたが、不採用通知の嵐に嫌気が差し、入れればどこの会社でも、とさえ思うようになっていた。

ところが、世の中には拾う神がいるものだ。僕を拾ってくれたこの会社は海運業を営んでいることで意中の範囲でもある。これは幸運としか言いようがない。

しかしその時、7年後の自分が香港に居るだなんて夢にも思わなかった。

というのも、海外拠点は世界各地にあるが、小さな貧乏会社であるが故、日本から駐在員を派遣できるのは香港だけ。しかも1人。気楽さはあるものの、個人の
裁量で仕事が左右されるので責任は重い。歴代の駐在員は経験豊富なベテランばかり。こんな若造が出る幕ではないと思っていた。

事務職で採用されながら、入社式翌日からは現場で研修という名の過酷な肉体労働。それがいつまで続くのかがわからない。

その人の適正や希望を問わず、現場を抜け出るのは年功序列という悪しき風潮がある。少なくとも5年、いや、恐らくそれ以上。

僕は腐っていた。そして周りも腐っていた。この会社でやりたい仕事をするためには、腐りながら年月を重ね、現場から抜け出す順番を待ち続けるしか術は無い。辞めていく者も多かった。僕の同期はもう一人もいない。

転機が訪れたのは入社2年目の終わり頃。まだ25歳だ。

当時の駐在員の後任を探すべく、僕の上司に白羽の矢が立った。

しかし、彼は断った。

別の会社でジャカルタ、バングラデシュを長く駐在し、家族に散々の苦労をかけた経験があったからだ。

その家族に報いるために今の会社に転職し、生涯、現場仕事に従事してでも日本で家族奉公を勤しもうとしている彼に海外転勤は酷な話だ。

そして、見ている人はちゃんと見ている。

その上司は断った身でありながら上層部を説得して、駐在の話しを僕に回した。

「男だったら、やってみろ。」

彼のその一言で僕は生き返った。もちろん二つ返事で承諾した。

瞬く間にあらゆる部署で経験を積み、スーツケース一つで香港にやって来た27歳の春。

香港・中国での仕事は苦労の連続であったが、あの一言は今でも僕を奮い立たせる。

「男だったら、やってみろ。」

「やってみました、テキストサイト。」

期待を見事に裏切り、ホントに申し訳ありませんでした。

はい、長いネタフリで御座いましたが、オチはいつものとおり中途半端。

ってことで、帰国までもうしばらくあるのですが、今日で香港での更新は終了です。

手ぐすね引いて待っていた後任者がようやくやって来るので、会社のパソコンを譲り休日返上で本格的に引き継ぎをするのと、出張も入ってるのでネット環境から遠ざかります。

香港生活の大半を日記に費やしたのは過言ですけど、オン・オフ問わず楽しませてもらいました。

幸いなことに僕の周りは人間的に面白い人ばかりでした。面白くないのはアドリブが効かない僕だけです。

そして、ここはとても住み易い場所でしたので、後任者の後任の座を本気で目指そうかと。

いつか香港に戻ってくることを約束して、次回は日本から。