本日の3.11

地震の直後も直後、ホントの直後、経験の無い大きな揺れがようやく収まったかという直後、まだ電話が通じた時間がわずかにあった。会社から自宅と実家と間髪入れずに電話して家族の無事を確認出来たが、妻は恐怖で涙声、その後ろでは子供の大泣きの声が聞こえた。そん時はまだ生後11ヵ月、0歳だ。地震という存在ももちろん知らない。逃げる、隠れるの知恵すら持ってない、生きるだとか死ぬだとかもわからない。ただ為すがままの状態で大人でも恐怖に戦く大地震。どんなに怖かっただろうか。
その後、自分は帰宅難民となったが、家族の無事は確認できているので無理して帰らず、電車が動くまで会社で夜を明かすことにしたが、そのことを伝えるため会社から逐一電話、メールを繰り返したが回線が混線しており、次に連絡が取れたのは翌朝だった。

あれから5年。子供も5歳だ。当たり前だがあの地震を知らないと言う。あの時の地震の恐怖、教訓とした生活の仕方とかは学校とかメディアに教えてもらえばいい。パパが教えてあげたいことは命の尊さだ。生きていれば楽しいことも苦しいこともある。人生とは上手く出来てるもんで、普通に人生を全うすれば良い事、悪い事が50%ずつで平均的に終わるようになっている。不慮の事故死や自ら命を絶つことを除けば、プラスマイナス0で人生を終えることがこの世に生を受けた者の宿命、それが俺の持論だ。だから、今が苦しい時を迎えていても、明日は今日より明るいかもしれない。今週がつらくても、来週は報われるかもしれん。だけど、明るい時を迎える前に命を投げ出しちゃいけないよ。あなたは独りじゃないんだからね。って、パパも自分にそう言い聞かせて明日を迎えてるんだ。