カテゴリー : 2002年 10月

ハードスケジュール

しつこいようだが僕はメタラーだ。

で、行ってきましたよ、おやじメタラーの祭典・ラウドネスライブ@渋谷公会堂。

メタルのライブには何度も通ったものの、ラウドネスほど音量がでかいライブはありません。

ライブから2日経ちましたがいまだに耳鳴りが続いています。

で、観客席見回しても僕と同年代のおっさんばっか。

それでもみんな頑張って頭とか振ってるんだけど、最初から飛ばしまくった人は途中で酸欠になったり、立ち続けるのに疲れ座り込んでしまったりと、そこはまるで野戦病院のようでした。こんにちわ、重傷患者です。体が動きません。

ってわけで、日本に帰ってからもハードスケジュールが続いてまして睡眠時間がまったく足りません。

出社初日から終電を逃して、タクシーで帰るありさま。

それはいいんですが、何なんですか、タクシー代1万円ってのは。それを週2回で2万円ですよ。

タクシーに乗るために働いてるんですか、僕は?

ってわけで、少し落ち着いてきたら勤務地周辺に家を借りようかと思います。

通勤時間は一時間以内が絶対条件で、部屋はリビングとは別に二部屋は欲しいわけで。

寝室が二部屋あると、ほら、例えばハニーと喧嘩した時なんかは別々に寝れるでしょ。僕って頭いいね。

で、朝起きるとハニーの姿は無いんだけど、テーブルにご飯と置手紙があるんですよ。

“昨日はゴメンね。温めて食べて今日もお仕事頑張ってね。恭子より”

恥ずかしくて顔を合わせられないから、こうやって手紙を書いてるところがまた可愛かったりするのでして、嬉しくてたまらない僕は米粒一粒残さず、皿まで舐めるように全部平らげ、食器を洗ってから仕事へと出かけるわけです。

もちろん置手紙を置いて。

“こっちこそゴメン。おいしかったよ。恭子、愛してる。アンジェリスより”

精神科病棟の近くに家を借りようかと。

日本から

ただいま。

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もう、ダメ、力尽きた。

昨日から一睡もせず、さっき日本に帰ってきましたが、それまでの2週間は地獄のようでした。

僕の主食は酒なのかと勘違いするくらい飲む機会が多く何度も吐きましたが、こんな面白くもなんともない僕のために送別会を開いてくれることに喜びを感じなくてはなりませんね。

で、日本に帰ってきて早々と日記の更新をしてしまうあたり、日本での歓迎会というかお帰りなさいの会とかの催しの予定はまったく無いわけで、日本に友達がいないことを露呈してしまってるのですが。

これなら、毎日更新できそうです。

最終回

僕は現在の会社に入って7年目になる。

今から7年前、バブル経済はとっくに終わり、求人が毎年大幅に減少している背景の中、大学新卒者は第2次ベビーブームのピーク世代。今ほど深刻ではなかったが、当時も就職難だった。

三流私立大学で4年間をダラダラと過ごし、なんの取り柄も無かった僕はやはり就職には苦労した。

国際学部卒の学歴を活かすべく貿易業務を希望してはいたが、不採用通知の嵐に嫌気が差し、入れればどこの会社でも、とさえ思うようになっていた。

ところが、世の中には拾う神がいるものだ。僕を拾ってくれたこの会社は海運業を営んでいることで意中の範囲でもある。これは幸運としか言いようがない。

しかしその時、7年後の自分が香港に居るだなんて夢にも思わなかった。

というのも、海外拠点は世界各地にあるが、小さな貧乏会社であるが故、日本から駐在員を派遣できるのは香港だけ。しかも1人。気楽さはあるものの、個人の
裁量で仕事が左右されるので責任は重い。歴代の駐在員は経験豊富なベテランばかり。こんな若造が出る幕ではないと思っていた。

事務職で採用されながら、入社式翌日からは現場で研修という名の過酷な肉体労働。それがいつまで続くのかがわからない。

その人の適正や希望を問わず、現場を抜け出るのは年功序列という悪しき風潮がある。少なくとも5年、いや、恐らくそれ以上。

僕は腐っていた。そして周りも腐っていた。この会社でやりたい仕事をするためには、腐りながら年月を重ね、現場から抜け出す順番を待ち続けるしか術は無い。辞めていく者も多かった。僕の同期はもう一人もいない。

転機が訪れたのは入社2年目の終わり頃。まだ25歳だ。

当時の駐在員の後任を探すべく、僕の上司に白羽の矢が立った。

しかし、彼は断った。

別の会社でジャカルタ、バングラデシュを長く駐在し、家族に散々の苦労をかけた経験があったからだ。

その家族に報いるために今の会社に転職し、生涯、現場仕事に従事してでも日本で家族奉公を勤しもうとしている彼に海外転勤は酷な話だ。

そして、見ている人はちゃんと見ている。

その上司は断った身でありながら上層部を説得して、駐在の話しを僕に回した。

「男だったら、やってみろ。」

彼のその一言で僕は生き返った。もちろん二つ返事で承諾した。

瞬く間にあらゆる部署で経験を積み、スーツケース一つで香港にやって来た27歳の春。

香港・中国での仕事は苦労の連続であったが、あの一言は今でも僕を奮い立たせる。

「男だったら、やってみろ。」

「やってみました、テキストサイト。」

期待を見事に裏切り、ホントに申し訳ありませんでした。

はい、長いネタフリで御座いましたが、オチはいつものとおり中途半端。

ってことで、帰国までもうしばらくあるのですが、今日で香港での更新は終了です。

手ぐすね引いて待っていた後任者がようやくやって来るので、会社のパソコンを譲り休日返上で本格的に引き継ぎをするのと、出張も入ってるのでネット環境から遠ざかります。

香港生活の大半を日記に費やしたのは過言ですけど、オン・オフ問わず楽しませてもらいました。

幸いなことに僕の周りは人間的に面白い人ばかりでした。面白くないのはアドリブが効かない僕だけです。

そして、ここはとても住み易い場所でしたので、後任者の後任の座を本気で目指そうかと。

いつか香港に戻ってくることを約束して、次回は日本から。

将棋

前回の日記で家を募集したんですが、やっぱりメールは一通もありませんでした。

そんなことは予想の範囲なので悲しくもありません。(手首に包丁をあてながら)

で、住む場所がホントに無さそうだったので、大家さんに泣きついたらどうにかなりました。

今日は家から更新してるんですが、やっぱり住み慣れた自宅は落ち着きます。

ですが、こんな状況ですから家の中に物が何もありません。

あるのはギターが一本と将棋のボードゲームしかありません。

ギターはただの飾りなので、今日は将棋をやりました。

先手 「うわっ、そうきたかぁ。やるなぁ。」

後手 「ふふふ、あなたもまだまだね。」

先手 「それならこれでどうよ。形勢逆転。王手飛車取り。」

後手 「わっ、待って、待って。」

先手 「ダメ、待ったなし。」

後手 「チェッ。負けちゃった。もう一回やろ。」

先手 「なに言ってんの?」

後手 「えっ?」

先手 「脱げよ。」

後手 「えっ?」

先手 「脱げよ。俺が勝ったんだから一枚脱げよ。」

後手 「やだ、恥かしい。」

先手 「自分で脱がないんなら、俺が脱がせてやるよ、ホラ。」

後手 「や、やめてー。」

先手は僕で、後手も僕です。(上半身裸になりながら一人将棋。)

しかも、書いた後に気付きましたが、負けたら脱いでくのはマージャンのゲームですねそうですね。

家なき子

もう、人間なんか信用するものか。

こんにちわ、家なき子です。

家がありません。

10月8日に日本に帰るべく航空券を予約し、荷物は先に日本へ送り、先日、旅行から戻ってきました。

明後日の土曜日に家を引き払い、残された数日は自分へのご褒美として優雅にホテル暮らし、最後の香港の夜を満喫するという有終の美を練っていたんですよ、こちらサイドとしては。

ところが、旅行中に届いてたメールを見てビックリ。

なんなんですか、2週間の延長って。

2週間くらいじゃネタとしてのインパクトがないじゃないですか。

ネタ欠乏症としては死活問題なんですよ、これは。(プンスカプン)

と、こんなかんじで予定が狂ってしまいました。

さて、家がありません。

そこはサイト管理人の特権。インターネットをフル活用。

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   【【家募集】】

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「アンジェリスさんと一緒に暮らしたいわ」

っていう香港にお住まいの深田恭子さん似の婦女子、もしくは御本人。どしどしご応募を。

カンボジア旅行記

旅行記なんぞを書いてみる。

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カンボジアのアンコールワットに行ってきました。神秘です、神秘。

 朝焼けのシルエット

現地での移動はずっとバイクタクシーだったんですけど、このバイクのにいちゃんがガイドも兼ねてまして、あちこち連れてってくれたのですよ。

ところがこのにいちゃん、イヤなことに性格が僕にそっくりなんですよね。ひねくれてるところとか。自分を見てる気がしてならないんですよ。

「アンコール遺跡周辺で若者に人気のスポットはどこ?」

って尋ねたら、連れてかれました、アンコール動物園。

動物園ですよ、動物園。

若者どころか見物客が誰一人いねーよ。

別に、カンボジアに笑いとかネタを求めてるわけじゃないんですけど、とりあえず。

 バイクタクシーのおにいさん(上)と、アンジェリス(下)

カンボジア旅行記 (完)